赤帽池崎運送店

HOME赤帽池崎運送店のご紹介 > ( 代表者プロフィール赤帽車のご紹介当店の赤帽車の歴史

代表者プロフィール

赤帽池崎運送店の責任者

どんな赤帽さんなんだろう・・・どんな人が来るのかな・・・ 初めて依頼する時って誰でも不安ですよね。
そんな時にこのホームページをご覧いただくことにより、どんな人間なのか、その雰囲気だけでも感じていただき、少しでもお客様のご不安が和らいでくれたら幸いです。

店主(代表者)について

運送屋というと、なんか運転が荒っぽくて対応がぶっきらぼうで、どことなく怖いイメージもありますが、私自身そういった荒っぽい雰囲気は全くありませんので、女性の方でも安心していただけるかなと思っております。

でも、軟弱な人間ではないですよ。だてに32年 赤帽をやっているわけではありません。
携帯電話やカーナビが無い時代から鍛えてますし。
地図帳がボロボロになるまで道を覚え研究してきたので、決してカーナビなんかには負けませんゾ!!(・・・と言いながら装備してますが)
体型もやせていますが、重い荷物も沢山持って鍛えてきました。
お受けした仕事はキッチリこなします! 安心しておまかせください!

店主プロフィール概要

以下に、私のプロフィールをご紹介させていただきます。(少々ふざけた記述があり恐縮ですが、ご容赦ください。)

店主氏名
池崎 和哉(1992年開業。開業時年齢25歳)
生年月日
1966年×月×日(現在58歳。気合いだけは25歳)
身長、体重
167cm、60kg (開業時53kg)
※ただし、重い荷物をたくさん持ってきたので、もしかしたら最近は身長が少し縮んだかもしれません。
役職、担当職務
赤帽池崎運送店代表、引越し納品引取り作業員、IT担当、電話受付員、赤帽車運転手、整備清掃係、経理部部長、運行管理責任者、駐車違反摘発反対派隊長
(プライベート職務→ 二児の父親、鳥(インコ)軍団隊長、インコ軍団住居清掃係、家の保守管理部長、ヤフオク入札戦闘員)
家族構成
妻1人?、子供2人、インコ3羽(コザクラインコ×2、オカメインコ×1)、 クサガメ?2匹(今では20cm以上に成長・・・)。
その他(庭にヒヨドリやスズメ、ハトさん。クモ、コオロギ、カマキリ、トカゲ、ダンゴムシ、ミミズ、アリ さんなど多数生息中。特になぜかクモが多いです。→別名:クモ屋敷)
学歴
福生市立福生第二小学校卒、福生市立福生第一中学校卒、都立小金井工業高校(電気科)卒
職歴
学生時代アルバイト=新聞配達、クリーニング仕分け、電子部品加工、製麺工場。高校卒業後=本田技研工業(株)化成課(塗装)→(株)富士通パソコンシステムズ技術課(ハードウェア設計)→赤帽池崎運送店 開業
趣味・嗜好・性格など
クルマ、旅行、ネット ・ 酒、タバコは一切ダメ(よって、飲酒運転のご心配は一切いりません) ・ 基本的に真面目・・・でもお調子者、頑固、気が小さい、気合いの割には体力が伴なっていない・・・
基本理念
相手に対する思いやりと人生オリジナル(独自路線)の追求および修行→しかし、人生 未だにいろいろな悩みが尽きないですね。。。
キライ、苦手なもの
人の陰口、金儲け主義、駐車違反摘発、片側2車線以上の道路、片側3車線の高速道路(笑)、好きな道=旧道(でも飛ばさないのでアオらないで~)
その他
遂に念願の赤帽オートスライド幌特別仕様車を導入しました。⇒ 参考動画・・・ユーチューブにてと言いたいところですが・・・導入後10年以上経ちましたが未だにやっておりません。(やる気無し)

当店の赤帽車の実物を見たい方(助手席に同乗したい方)は、配送のご依頼をお待ちしております!!(笑)

私の直筆サイン入り領収書をご希望の方も、配送のご依頼をお待ちしております。

赤帽の開業に至った経緯

(長文ご注意ください。)

当時24歳だった私は、パソコンのハードウェア設計の仕事をやっていました。
まだウィンドウズ、インターネットなんか無い時代でしたが、それから急速に世間の技術レベルがアップし頭脳がついてい かなくなり悩んでいました。

そんな中、私の父からも励ましの言葉をもらい、運輸関係の部署にいた父から「赤帽でも一緒にやってみるか」なん て言ってくれたこともありました。
しかし、同時期に父が病気であることが判明、助けようといろいろかけずりまわりました・・・でも6ヶ月後には亡くなってしまいました。
今でも、その時期に世間で何が起こっていたか、何があったのかその期間だけすっぽりと抜けています。

かなり落ち込みましたね・・・落ち込んでいたある日、何気なく見た折込の求人広告に「赤帽組合員募集」の記事が ありました。その時、ふっと父の言葉が脳裏に鮮明に浮かんできました。「赤帽でも一緒にやってみるか」

それまでの私は、結構おとなしかったですね、自分で言うのもヘンですけど。
中学時代はイジメられっ子でしたし、高校卒業後に入社した会社もまわりのみんなになじめずに辞めてしまったほどです。

父が私を元気づけるために言ってくれたのか、本当に一緒にやるつもりだったのかはわかりませんが、私は求人広告 を目にした瞬間に、ヨシッ!これだって思いました。

すぐに、直近の日付の立川で開催された赤帽の説明会に出かけました。
そこでは、赤帽創始者の話(町で大きな荷物を持ったおばあさんが、タクシーの乗車拒否にあっているのを目撃し、 庶民のための運送業を考え=赤帽を設立した)を聞きました。

「荷主さんの心を運ぶ赤帽車」ってフレーズになんだか感動しましたね。「オレも人の役にたつ仕事をしてみよう」って思いました。
そして、それまでの貯金と少々母にお金を借りて、赤帽を開業しました。

はじめた当時は、ほんと道も何もわからない、カーナビ、携帯なんかないポケベルの時代。
お客さんに、所要時間、地名を尋ねられてもなんにもわからない・・・
地図を何冊も買って、ぐちゃぐちゃになるまで書き込んで道に色を塗って・・・今思えばいい思い出になってます。

まあ、今ではそういう経験が役にたっていますが、当時は始めて3日で本当に辞めようと思ったほどです。
いろいろと・・・本当にいろいろなことがありましたけど、ここまで続けてこれたのも不思議ですね。
父が応援してくれているんでしょうか・・・
この応援にも応えるべく、また、自分に対する人生の修行と思って、これからも体力と気力の続く限り赤帽を続けて いこうと思っています。

ここまで読んでいただき、どうもありがとうございました。長文申し訳ありませんでした。
こんな人物ですが、どうぞよろしくお願い致します。